創立者 鈴木修 年表・語録集

1958 - 1977

基礎を築き、
成長の土台を固めた時代

挑戦期

1958.04
昭和33年[28歳]

鈴木自動車工業株式会社に入社。

1961.01
昭和36年[31歳]

豊川新工場建設準備委員会委員長に就任。工期通り竣工し、予算3億円に対し2億7千万円で完成。余剰3千万円を返却するという前例のない成果を達成した。

1963.11
昭和38年[33歳]

取締役に就任。

1966.01
昭和41年[36歳]

USスズキ社長として、アメリカへ赴任。

1967.12
昭和42年[37歳]

常務取締役に就任。

1968.03
昭和43年[38歳]

アメリカから帰国後、東京駐在。

1968.08
昭和43年[38歳]

ホープ自動車の小野定良社長と出会い、ホープ自動車が開発した軽規格4WD「ホープスターON型」の性能に衝撃を受け、製造権を取得する。(のちのジムニー)

1970.04
昭和45年[40歳]

軽四輪駆動車「ジムニー」を発売。大ヒットとなる。

1973.11
昭和48年[43歳]

専務取締役に就任。

1975.05
昭和50年[45歳]

日本で厳しい排出ガス規制が導入され、新型エンジン開発に失敗。当社は一時存亡の危機に直面するが、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)から4ストロークエンジンの供給を受け、危機を乗り越える。この恩を胸に、技術革新を加速させる。

1977.06
昭和52年[47歳]

代表取締役専務に就任。
1978 - 1990

会社を刷新し、
世界戦略を進めた時代

改革期

鈴木修語録 社長就任時

どこの国でもいいから
一番になりたい。

1975年の排ガス規制対応の失敗で、経営の危機を迎えた。多くの方々のご支援でなんとかこれを切り抜けることはできたが、湖西工場の生産は月1,500台のペースにまで落ち込み、従業員は意気消沈。なんとか士気を上げたい。日本でダメなら外国で、どんな小さな国でもよいからと熟慮したところ、答えは簡単。クルマを生産していない国に行けば、100台でも1位になれると考えた。「スズキでも1番がとれる国があるんだ」というのを見せたかった。

1978.06
昭和53年[48歳]

代表取締役社長に就任。

鈴木修語録 アルト開発時

それならエンジンを
取ったらどうだ。

私が「コストを下げるために灰皿をとれ、スペアタイヤを取れ」と言っても、「そんなことをしたぐらいでは35万円にはなりません」と相手にしてくれません。最後に「それならエンジンを取ったらどうだ」と言うと、コストダウンにかける私の気持ちが通じたのでしょう。「なんとかやってみます」と言って、懸命のコストダウンを続けてくれました」。(アルトのコストダウンにかける思いを、技術陣に伝えた時の言葉)

鈴木修語録 アルト発表会にて

ある時はレジャーに、
ある時は通勤に、
ある時は買い物に、
この「アルト」です。

アルトの発表会を明日に控え、「アルトの名前の由来は、イタリア語で『(才能などに)秀でた』という意味で・・・」と営業部門が考えてきた原稿を読んでいたが、難しくてなかなか暗記できなかった。そこへ突然の来客がやってきて「うちの主人があるとき、こんなことをしました。また、あるときは、こんなこともやらかしました」という。この話にヒントを得て思いつき、発表会で披露したところ好評を得た。

1979.05
昭和54年[49歳]

軽自動車「アルト」を発売、「全国統一価格47万円」で発表し、大ヒットとなる。

鈴木修語録 座右の銘は

やる気

「気力充実がまず先決だ」「行動せよ」「歩きながら考えよ」という意味から、この言葉を座右の銘とした。

1980
年代~

1980.03
昭和55年[50歳]

創立60周年を記念し、日本の機械工業の未来を担う技術者の育成と研究支援を目的として、財団法人機械工業振興助成財団(現スズキ財団)を設立。※2011年4月に公益認定を受ける。

鈴木修語録

GMは鯨、スズキは蚊。
蚊ならば鯨に呑み込まれずに高く舞い上がれる。

1981.08
昭和56年[51歳]

ゼネラル・モーターズ(GM)、いすゞ自動車株式会社と業務提携を結ぶ。

鈴木修語録

田舎の会社だから
カネはありません。

皆さん、うちの本社の外を見てください。まわりは田んぼだらけで、カエルが鳴いています。日本では田舎者ほど純真で正直者だといいます。だから、皆さんが本当に自動車の技術が欲しいなら、私どもがきちんと指導させていただきます。だけど、カネはありません。もしカネが欲しいなら、もっと立派な会社さんに行ってください。

1982.04
昭和57年[52歳]

1982.09
昭和57年[52歳]

パキスタン、パックスズキモーター社で、スズキ四輪車生産開始。

1982.10
昭和57年[52歳]

インド国営企業マルチ・ウドヨグ社とスズキ四輪車の生産、販売に関する契約に正式調印。

鈴木修語録 インドプロジェクト等に触れて

ハート・ツー・ハート

人間はみな同じ。外国人の大経営者でも、中小企業の社長でも、普通のサラリーマンでも、基本は一緒。いい面をみんな持っている。だから私はその人の地位や国籍によって接する相手を差別しない。世界中どこでも心で通じることはできるんだ。

1983.12
昭和58年[53歳]

インド、マルチ社で四輪車の生産を開始。スズキが、インドに日本の労働文化を移植してくれた。(インディラ・ガンジー首相)

1985.03
昭和60年[55歳]

パキスタンで自動車産業を育成した功績を評価され、パキスタン政府より「スターラ・イ・パキスタン勲章」を受章。

1986.08
昭和61年[56歳]

GMカナダと四輪車生産の合弁会社設立で合意。インガソールでGMのロジャー・スミス会長と合弁合意書の調印式に臨む。

1987.11
昭和62年[57歳]

日本の自動車産業の発展に大きく貢献したことを評価され、日本政府より「藍綬褒章」を受章。

鈴木修語録

工場にはカネが落ちている。生産現場を乾いたタオルだと思うのは間違い。絞れば絞るほど水が出てくる。

かつて、プロ野球の名監督で鶴岡一人さんの名言に「グラウンドにはゼニが落ちている」というのがあります。球場でいいプレーをすれば、年俸も上がる。だから、若者はグラウンドでカネを稼げ、という意味です。これを私流に言い換えると、「工場にはカネが落ちている」です。ムダを削れば削るだけ、それが会社の利益を押し上げ、社員や株主へ還元される原資が増えるのです。

1989.04
平成元年[59歳]

カナダの四輪車生産工場カミ・オートモティブ社が生産開始。

鈴木修語録

メーカーは、社長室にいてはコストダウンはできぬ。

鈴木修語録

重力と光はタダだ。

電気やガスといったエネルギーは有料だが、重力と太陽は無料だ。わざわざコンベヤーを設けなくても、重力で落ちてくるようにすればいい。わざわざ蛍光灯を設置しなくても、太陽の光で明るくなるように設計したほうがいい。

1989
秋頃

国内工場の監査を開始。役員とともに自ら工場を歩き、現場改善の文化を根付かせた。

鈴木修語録

モノづくりの経営者は、機械の油の焼ける臭いを「良い臭いだ」と思えるようでなければ務まらない。

1990.01
平成2年[60歳]

ハンガリーでの四輪車合弁生産に基本合意。日本の自動車メーカーの東欧進出第1号となる。

1990.10
平成2年[60歳]

社名を「スズキ株式会社」に変更。
1991 - 2014

陣頭に立ち、
会社を飛躍させた時代

躍進期

1991.03
平成3年[61歳]

連結売上高1兆円を達成。

鈴木修語録

ウチは浜松の中小企業。

1991.04
平成3年[61歳]

ハンガリーでの四輪車合弁生産に正式調印。マジャールスズキ社を設立。

1991.09
平成3年[61歳]

ハンガリー共和国 名誉領事に就任。

鈴木修語録

小・少・軽・短・美・・・
スズキのものづくりの哲学。

1993年4月「小さく、少なく、軽く」1994年「小さく、少なく、軽く、美しく」1999年「小さく、少なく、軽く、短く、美しく」2001年「小・少・軽・短・美」製品や部品はもちろん設備まですべてを含め、いかに小さく、少なく、軽く、短く、美しくするかが、コスト低減につながる。この言葉がスズキのものづくりのフィロソフィーとなった。

1993.04
平成5年[63歳]

1993.05
平成5年[63歳]

ハンガリーにおける初期の雇用創出と経済への貢献が評価され、ハンガリー政府より「中十字勲章」を受章。

1993.09
平成5年[63歳]

軽自動車「ワゴンR」を発表し、新発想の軽ワゴンとして大ヒット。”セダンもあるけどワゴンもあーるのワゴンR。”

鈴木修語録 インタビューにて

会社存亡の危機も、商品の寿命も、25年周期でやってくる。

これまでスズキの経営を舵取りしてきてわかったことは、会社存亡の危機も、会社を支える飯の種である商品の寿命も25年周期で訪れるということだ。大切なことは、過去の危機の経験、商品の変遷の経験をいかに次代へと伝えていくかだ。

鈴木修語録 インタビューにて

インドには100回以上行っているが、お腹をこわしたことはない。

いかに現地に溶け込むか、順応するかが肝心。自分の体内の菌と土着の菌との戦いだ。勝てば何も起こらないが、負ければおなかをこわすということ。

1995
平成7年[65歳]

鈴木修語録 モーターショーで来日した
GMスミス会長、ワゴナー社長に対して

ボトムアップ イズ コストアップ、
トップダウン イズ コストダウン

下からの積み上げで決めようとすると、議論百出で時間ばかりかかる。トップダウンこそコスト削減の近道だ。スズキなら5分で決断できる。その後、GMの幹部の間でこの言葉が話題となったことで、私の顔をみると皆、口にした。

1997
平成9年[67歳]

鈴木修語録 アナリスト説明会にて

現場・現物・現実の三現主義。

メーカーの基本はモノ作り。モノ作りの基本は生産現場。メーカーは現場が強さの源泉であり、「自分が現場に足を運んで決める」、「実際に現物を見て判断する」、「現実に即して考える」という「現場・現物・現実」の三現主義を地道に徹底的に貫いていくことが大事。

1998.03
平成10年[68歳]

鈴木修語録 新規格の新型軽乗用車4車種発売時

1部品、1グラム、1円低減。

当初の計画より30kg軽くしろと指示しても関係部門は無理だという。しかし1部品1gだ、と言えば無理とは言えない。数万点に及ぶ車の部品を1個1個1gずつという小さな目標を積み重ねると実現できる。

1998.10
平成10年[68歳]

1999.07
平成11年[69歳]

ハンガリー共和国 名誉総領事に就任。

鈴木修語録 副代理店大会にて

年齢は7掛け。

私の年齢は7掛けで見ていただきたい。今70歳だから49歳。男盛り、働き盛りです。

2000.01
平成12年[70歳]

2000.04
平成12年[70歳]

自動車産業と国際経済交流への長年の貢献が評価され、日本政府より「勲二等旭日重光章」を受章。

2000.06
平成12年[70歳]

代表取締役会長兼CEOに就任。

2000.10
平成12年[70歳]

スズキ創立80周年記念事業として、青少年の健全育成と国際交流のための助成を目的とした「財団法人スズキ教育文化財団」を設立。※2012年2月に公益認定を受ける。

2002.05
平成14年[72歳]

インド「マルチ・ウドヨグ社」の株式を過半数取得し、子会社化。

2004.05
平成16年[74歳]

長年にわたるハンガリー経済への貢献を評価され、ハンガリー政府より「星付中十字勲章」を受章。

鈴木修語録

朝令暮改は大いにやるべき。

決断するときに朝令暮改はよくないというけれども、大いにやるべき。一度決めたからといって止めるべきことを続けていたら、会社ならつぶれてしまう。企業経営というのは日々決断である。その上で、汗をかくということが重要ではないか。朝令暮改は大いに結構。昨日までの常識は今日の非常識と認識すべし。

2006.02
平成18年[76歳]

鈴木修語録

節の少ない竹は折れる。

杉の木は折れやすく、節のある竹は折れにくい。しかし急激に伸びる竹は折れやすい。要するに、急激に伸びる時、業績の良い時に経営の危機をはらんでいる。

2007.01
平成19年[77歳]

インド進出と自動車産業を通じた日印関係強化の功績を評価され、インド政府より「パドマ・ブーシャン勲章」を受章。

2007.03
平成19年[77歳]

連結売上高3兆円を達成。

2007.09
平成19年[77歳]

インド子会社を「マルチ・スズキ・インディア」社に社名変更。

2008.11
平成20年[78歳]

ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携を解消。

鈴木修語録 鈴木修会長が社長を兼務(CEO&COO)時

安泰ムードを招いた私が先頭に立って立て直す。

若返りを図らないといけないが、今回は、経営の変化と経済環境の急激な落ち込みが重なった。私が先頭に立ってやるしかない。この30年間、右肩上がりで伸びたため、社内には安泰ムードが染みついている。こういう事態を招いたのは自分だから、自分が立て直す。景気がよくなるまでやりきらないといけない。「苦境に陥れば、陥るほど、我ゆかん」という心境とでも言ったらいいのでしょうか。命あるかぎりスズキを引っ張り続けるという覚悟です。

2008.12
平成20年[78歳]

社長を兼務(CEO&COO)する人事を発表。

鈴木修語録

危機は常に社内にあり。

このようなときこそ、おのれを見つめ直すチャンスです。苦境に立たされれば立たされるほどファイトがわいてくる。悔いや失敗の連続だったこれまでの私の経験と、そのときどきに抱いてきた素直な思いをつづることで、この最大の危機を乗り越える力としたい。

鈴木修語録

「先見の明があった」などとは口が裂けても言いません。

私に言わせれば、どんな先見の明も、すべて後講釈といいますか、後付けにすぎません。試行錯誤があるだけです。

2009.02
平成21年[79歳]

2009.04
平成21年[79歳]

スズキの歴史とモノづくりを紹介する企業ミュージアム「スズキ歴史館」が開館。

鈴木修語録 日本外国特派員協会での記者会見にて

健康の秘訣?
これはね、もう極めて簡単ですよ、仕事をするって事。

2010.01
平成22年[80歳]

鈴木修語録 日経電子版「鈴木修氏の経営者ブログ」から

日本がそうであったように、インドの人たちにも、豊かで幸せな生活を送ってほしい。

日本は、戦後の焼け野原の中から立ち上がり、一人ひとりが無我夢中で懸命に働いてきました。その結果としての今日の隆盛を、戦前・戦中・戦後この目で見てきた者として、これからは事業を通じてアジアの人々に恩返ししたい。

鈴木修語録 日経電子版「鈴木修氏の経営者ブログ」から

競え、闘え、未来を拓け。

若い皆さんに一言。あなた方は本当に大変な時代を生きていかなければなりません。しかし、どんな苦難に直面しても互いに切磋琢磨しながら、大きな相手と闘いなさい。負けることを恐れてはなりません。結果が出なくてもあきらめず、何度でも立ち上がる。競争と闘いの先にだけ、未来は拓けるのです。あなた方には無限の可能性があるのですから、胸を張って、一歩ずつ前へ進めばいい。暗い闇夜を切り開く開拓者になりなさい。あなた方はその運命を背負って生まれてきたのです。

2010.03
平成22年[80歳]

鈴木修語録 組織改定・人事異動についての
浜松での記者会見にて

敵前逃亡

これまでタイミングを逸してきたが、ここらへんで権限移譲をやってみようと思った。ただ最低でも、大震災の影響で落ち込んだ業績を上向かせるのは私の責任。ここで後継に道を譲るのは「敵前逃亡」だ。

2011.04
平成23年[81歳]

鈴木修語録 テレビ東京【カンブリア宮殿】出演時

何をやっても懸念はありますよ。だけど、懸念があるから心配だ心配だって立ち止まったらダメだから、先ずはやっていく

2013.05
平成25年[83歳]

鈴木修語録 中間決算会見にて

忙しくて死ぬ暇がない。

何もないですよ。丈夫な身体をくれたおやじとおふくろには感謝です。今も週一回程度、ゴルフをしますが、カートには乗らず歩いています。健康で食欲も旺盛。肉の食べ過ぎで太り気味なのが悩みのタネです。皆さんから「元気ですね」と言われると、忙しくて死ぬ暇がないと答えています。”生涯現役”で走り続けますよ。

2014.11
平成26年[85歳]

2015 - 2024

現役を貫き、
精神を継承した時代

伝承期

2015.06
平成27年[85歳]

鈴木俊宏 代表取締役社長(COO)に就任。鈴木 修 代表取締役会長(CEO)を継続。

2016.05
平成28年[86歳]

四輪車の排出ガス・燃費試験業務における不適切事案について国土交通省に報告。

鈴木修語録 株主総会にて

男として

再発防止のために徹底的に会社に残って責任を全うするということが、男として大切なことだと思います。(燃費不正問題の責任を問われ)

2016.06
平成28年[86歳]

鈴木俊宏 代表取締役社長(CEO兼COO)に就任。

鈴木修語録 「トヨタとの業務提携に向けた検討を開始」
記者会見にて

参考にはさせてもらうが、私は全然違っている。

企業経営者というのはこれで一段落というのを考えていないと思います。私も例外ではありません。経営者である以上はチャレンジするという事、企業経営を社会のためにやっていくんだということは、いつまでたっても変わらないんじゃないでしょうかね。あなたのおっしゃることは参考にさせていただきますけれども、私は全然違っているということを申し上げておきます」。(これを機に俊宏社長を前面に出すきっかけになるのか?そろそろ引退か?という質問に答えて)

2016.10
平成28年[86歳]

トヨタ自動車と業務提携に向けた検討を開始、豊田章男社長(当時)と共同記者会見を実施。

2017.02
平成29年[87歳]

トヨタと業務提携に向けた覚書を締結。

鈴木修語録 下期年度大会にて

報連相を行う、現場を見る、嘘はつけない、ごまかしは見つかる、ということを肝に銘じ、正々堂々と仕事を進めていただきたい。今の世の中、誰かが真実を追求する。ガラス張りです。

燃費不正問題を決して忘れるな、ということです。隠すということは絶対できません。

2017.10
平成29年[87歳]

2018.01
平成30年[88歳]

88歳の米寿と最高経営責任者40年目の節目に、障害者や高齢者の福祉向上、及びスポーツの普及や振興を支援するため、自身が保有するスズキ株式会社株式25万株を寄託して「一般財団法人鈴木道雄記念財団」を設立。※2018年5月に公益認定を受ける。

2018.08
平成30年[88歳]

トヨタと資本提携に関する合意書を締結。

鈴木修語録 日経ビジネス1月13日号
「編集長インタビュー」から

スズキ100年の成績は、試合に例えるならば「100戦51勝49敗」だった。

負け戦となり、一旦は引き下がっても、何とか勝つ方法を探して、勝ち戦にしてきた、という意味です。運とツキを呼び込むために挑戦が大切です。一歩前でも半歩前でもいいから、前に出る努力をしなければツキが向いてくれません。待つ経営はだめ。攻める経営をやらなければならないのです。

2020.01
令和2年[90歳]

2020.03
令和2年[90歳]

スズキ創立100周年を迎える。

2020.03
令和2年[90歳]

ハンガリーの自動車産業を育成し、経済発展に大きく貢献したことが評価され、ハンガリー政府より「大十字功労勲章」を受章。(叙勲伝達式は2022年6月にハンガリーにて挙行)

鈴木修語録 新年度大会にて

感謝。感謝。感謝の100年でした。

100周年を迎え、3月15日の新聞広告では「感謝、感謝、感謝」と3回言いました。お客様に感謝し、株主に感謝し、従業員に感謝しと繰り返し3回言いました。過去のことを感謝するのに対して、101回目を迎えて、反省し、反省し、反省しということになります。真摯に反省し、抜本的な改善を実施することが、お客様に信頼され、株主の皆様に信頼され、世間に信頼されることにつながります。

2020.04
令和2年[90歳]

鈴木修語録 下期年度大会にて

初代アルトの発表会で話した内容は、41年経った今でも変わりません。「やる気」、「数字」、「行動」です。

1979年のアルトの日本での発売が、本格的にグローバル自動車ビジネスに参入する契機になりました。

2020.10
令和2年[90歳]

2020.11
令和2年[90歳]

初代「ジムニー」が2020日本自動車殿堂「歴史遺産車」に選定。

鈴木修語録 役員人事に関するWEB会見にて

地球上には市場が無限にありますから、歩いて歩いて行動。

行動して発見したら、そこにマーケットがありますから、歩け歩け、行動しよう。

鈴木修語録 役員人事に関するWEB会見にて

生きがいは仕事・・・バイバイ。

生き永らえているかぎりは挑戦し続けていきましょう。生きがいは仕事です。人間は仕事を放棄したら死んでしまえということ。挑戦することが人生であるということでありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ。

2021.02
令和3年[91歳]

代表取締役会長を退任する旨を発表。(WEB会見)

鈴木修語録 株主総会での挨拶時
(鈴木修会長の退任が承認された)

数多くの失敗から多くを学び、成長することができた。

数多くの失敗をしでかした。しかし、失敗から多くを学び、成長することができた。メーカーは作っておしまいではなく、作って売ってナンボ。スズキを愛してくださるすべての皆さんに感謝、感謝いたします。来年以降はそちら側に座りまして、株主としてよろしくお願いします。

2021.06
令和3年[91歳]

株主総会で代表取締役会長を退任し、相談役に就任。

2021.12
令和3年[91歳]

世界の自動車文化への貢献が評価され、国際クラシックカー連盟の「自動車文化殿堂」を受賞。

2022.02
令和4年[92歳]

軽自動車の普及と海外展開による産業振興、及び教育・福祉分野への社会貢献が評価され、第20回渋沢栄一賞を受賞。

2022.08
令和4年[92歳]

インド進出40周年記念式典。モディ首相出席のもと、EV・電池工場建設とR&D拠点設立を発表。

提供:Press Information Bureau, Government of India

2024.12
令和6年[94歳]

鈴木 修 永眠。(享年94歳)

2025.01
令和7年

生前、マルチ・スズキの設立をはじめ、自動車産業を通じた日印関係強化とインド経済発展への顕著な貢献が評価され、インド政府より「パドマ・ビブシャン勲章」を受章。(叙勲伝達式は2025年4月インドにて挙行され、スズキ株式会社の鈴木俊宏社長が式に臨まれた)

2025.01
令和7年

日本政府より、叙位「従三位」の発表を受ける。
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