お客様のほしがっているものなら、
どんなことをしてでも応えろ。
頑張ればできるもんだ。

鈴木道雄 95年の歩み

1887明治20年(0歳)
2月18日

静岡県浜名郡芳川村(現:静岡県浜松市南区)の農家に、四人兄弟の次男として生まれる。
芳川村は綿畑が広がる綿作の盛んな土地で、道雄は7~8歳の頃から両親の綿つみを手伝った。
生まれつき手先が器用だった道雄は、工作が好きで、絵を描くのも得意だった。

伯父の家を建てるために大工が仕事をしていると、学校から一目散に帰り、毎日手伝った。
こうして大工仕事を覚える中で、のこぎりやかんなの使い方を学んでいった。

1898明治31年(11歳)
3月

芳川村尋常小学校卒業。翌1899年3月、芳川村尋常小学校補修科卒業。
次男の道雄は独り立ちしなければならなかったため、将来は大工になろうと決意。
14歳の11月、大工棟梁と7年間の徒弟契約を結び、大工修行に出る。

1904明治37年(17歳)
2月 日露戦争勃発

日露戦争の影響で大工の仕事がなくなったため、親方が足踏織機あしぶみしょっき(注1)を作り始める。道雄も織機の作り方を習得する。 (注1)足で踏み木を踏んで機械を動かし、糸を織物へと織りあげる織り機のこと。明治30年代から世間一般に広まった。

1908明治41年(21歳)
10月

徒弟契約が終了し、親方から独立する。
伯父の世話で、浜名郡上中島(浜松市中島町)に200m2の土地を借り、実家からもらった2階建て蚕小屋かいこごやを移し、工場に改造する。

大部分が木でできた(一部は鉄)足踏織機を一人で作り上げ、その第一号機を母親の「まち」に贈る。それまで使っていたものに比べて10倍使いやすい、と感激する母を見て道雄は自信をつける。

1909明治42年(22歳)
10月

「鈴木式織機製作所」の看板をかかげ、本格的に足踏織機の製作を開始。
当時は無地の織物が普通だったが、しま模様が入った織物を欲しがる人が増える。糸をちがえて織ると、しま模様ができることに目をつけて、道雄はそのしくみを発明しようと知恵をしぼる。

常にお客様の側に立ち、「お客様のほしがっているものなら、どんなことをしてでも応えろ!頑張ればできるもんだ!」という道雄の言葉は、スズキのモノづくりの精神として、現在まで脈々と受け継がれている。

1911明治44年(24歳)
2月7日

杼箱上下器ひばこじょうげき(注2)を取り付けた2挺杼足踏織機にちょうひあしぶみしょっき(注3)を完成し、初の実用新案として出願。1912年12月「杼箱上下器」が登録される。(実用新案26199) (注2)杼(ひ)とは、織物を織るときに、たて糸の間によこ糸を通すのに使われる道具。この杼を使い、自動で上下に動かすことによって、よこ糸の交換ができる装置。
(注3)横しま柄の模様が入った織物を織れる織り機。

しま柄の織物が織れる2挺杼足踏織機は当時では初めてであり、遠州以外の地域でも評判になった。

道雄は次々と織機を改善する新装置を開発し、その特許と実用新案の件数は百数件に及ぶ。

1912明治45(大正元)年(25歳)
3月18日

力織機(注4)の製作を可能にする
経糸送出調節装置たていとおくりだしちょうせつそうち(注5)を出願。
1913年2月、初の特許として「経糸送出調節装置」が登録される。(特許23515) (注4)人の力ではなく、機械の力で動かす織機のこと。
(注5)たて糸をぴんと張った状態にし、糸のゆるみや切断を防ぐ装置。

1913大正2年(26歳)

木鉄混製の鈴木式力織機の完成により、道雄の事業の基礎ができあがる。
鈴木式力織機の大量注文が相次ぎ、職工を50~60人に増やして操業。

1914大正3年(27歳)
7月 第一次世界大戦勃発
1916大正5年(29歳)

群馬県足利市で技術力の競争や出品物の販売を目的とした繊維共進会が開かれ、鈴木式織機製作所の出品した「1挺杼力織機」と「木鉄混製4挺杼の広幅力織機」が、ともに1等賞を受賞。
注文も増えて工場が手狭となったため、周囲の田畑を埋めて増築し、それまで外注していた鋳物や金物も自分の工場でつくる設備を整えた。

1920大正9年(33歳)
3月15日

鈴木式織機株式会社創立。
資本金50万円。道雄、取締役社長就任。

1922大正11年(35歳)
9月

上中島の土地が手狭になったため、相生町2,600坪の土地に新工場を建設。
1926年6月、本社を上中島から浜松市相生町433に移す。
従業員数100名を超える。

1929昭和4年(42歳)
12月4日

東南アジア諸国からサロン(注6)の注文が大量に入るようになる。のちにサロン織機といわれる
4挺杼織機カード節約装置よんちょうひしょっきカードせつやくそうち(注7)を発明し、出願。
1930年9月「4挺杼織機カード節約装置」が特許登録される。(特許88338)

格子柄の入った織物を、それまでより格段に効率よく織れるようにしたサロン織機は、道雄の一大発明となる。 (注6)東南アジアの人が腰に巻く、大きな格子柄が入った布のこと。当時インドネシアを中心に広く使用されていた。
(注7)複雑な格子柄を織るときにかかる手間と費用を大幅に減らすことができる装置。この装置を取り付けた織機を、サロン織機と呼んだ。

1930昭和5年(43歳)

東南アジア向けサロン織機の輸出を開始。
「SUZUKI」の名を世界に広げた。

1931昭和6年(44歳)
3月

浜松市制20周年を記念して開催された全国産業博覧会に、52インチ片側4挺杼織機、4幅両側4挺杼毛織機を出品し、ともに国産優良品賞を受賞。

1932昭和7年(45歳)

サロン織機の注文が殺到。
隣接地600坪に実験工場を設け、製作した織機の実演公開で販売促進をねらう。

1934昭和9年(47歳)

道雄はあるとき、インドのボンベイ市郊外にあるタタ財閥の紡績工場では、自分の生まれと同じ1887年製のイギリス織機がいまだに使われていることを聞いた。織機がとても長持ちする製品で、買い替える必要がないために、織機製作だけでは商売を続けられないと考えていた道雄は、他の事業にチャレンジを始める。

1936昭和11年(49歳)
8月

自動車研究を開始。
1939年夏、4気筒750cc水冷エンジン搭載の自社製小型四輪セダン数台が出来上がるが、第二次世界大戦に突入。
軍需品増産のため、翌1940年、やむなく自動車研究を中止。その夢は、1955年「スズライト」発売によって実現される。

1938昭和13年(51歳)

シャトル(杼)を使用しない4挺杼の自動織機を試作したが、戦争のために製造販売に至らなかった。
織布工場の一部を兵器の製造工場に切り替える。

1939昭和14年(52歳)
9月

可美村高塚に分工場新設(現:本社所在地)

1941昭和16年(54歳)
12月 太平洋戦争に突入
1944昭和19年(57歳)
12月7日

東南海大地震により、相生本社では第2工場と鋳物が半壊し、高塚では工場3棟が倒壊。

1945昭和20年(58歳)
4月30日

最初の空襲を受ける。5月19日、7月31日と空襲が続き、多くの死傷者が出る。
本社工場は9割5分まで廃墟と化す。

8月15日 終戦
9月

相生本社を閉鎖し、高塚工場に本社を移転する。
1947年5月、本社を正式に静岡県浜名郡可美村高塚300番地の現在地に移す。

1947昭和22年(60歳)

戦後の復興期には作れるものは何でも作り、オルガンやハーモニカなど楽器類も製作。ハーモニカは「オリオン」と名付けて売り出した。

1952昭和27年(65歳)
6月

バイクモーター「パワーフリー号」発売。
戦前の自動車開発への挑戦に始まり、戦後繊維業界が不況に陥った時も、常に新しい事業構想を試行錯誤してきた結果、1952年(昭和27年)36ccの自転車補助エンジン「パワーフリー号」を発売。
「ダブル・スプロケット・ホイル」、また、エンジンに2段変速をつけたことによって、バイクの性能はいちだんと高められ、パワーフリー号は一躍して人気の的となった。スズキのエンジンの歴史がここから始まった。

1953昭和28年(66歳)
5月11日

サロン織機発明により、織物業界を飛躍的に発展させた功績を称えられ、藍綬褒章を授与される。 藍綬褒章を授与される鈴木道雄藍綬褒章を授与される鈴木道雄

1954昭和29年(67歳)
1月

「誰もが手に入れやすい、小さくて実用的なクルマが必要」という信念のもと、四輪車の研究を再開する。
同年9月に試作第一号が完成し、10月箱根登坂テストに出発。当時国産車がトラブル無しでは越えられないと言われていた箱根峠を見事乗り切り、東京に到着。試乗した梁瀬自動車社長から高い評価を得る。

6月

社名を「鈴木自動車工業株式会社」に変更。
鈴木式織機株式会社から、鈴木自動車工業株式会社へと社名を変更。ここから新しい歴史のページが開かれ、自動車産業への旅立ちがスタートした。

1955昭和30年(68歳)
10月

軽四輪車「スズライト」発表。
「一般市民に手が届く自動車」をコンセプトにした四輪車が誕生。名称は「スズ=スズキの略+ライト=軽い・光明」に由来する。

1956昭和31年(69歳)
2月27日

エジプト・カイロで開催された日本商品見本市に参加し、織機を展示。

1957昭和32年(70歳)
2月28日

古希を迎えて社長を引退。鈴木俊三を2代目社長に指名。

1966昭和41年(79歳)
5月14日

「織機の改良考案につとめ、また、軽四輪車等を開発し、産業の発展に寄与した」功績により、勲三等旭日中綬章を授与される。
没後、生前の功績をたたえ、特旨をもって従四位が追賜される。

1982昭和57年(95歳)
10月27日

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